【2】何もわからずに飛び込んだ日本画の世界
Plan・Do・See(PDS) 学生時代のお話が出たので、次に「PIGMENT TOKYO」の館長になるまでの経緯をお聞きします。まずは岩泉さんの小さい頃ってどういったお子さんだったんですか?
岩泉 実は、幼少期のエピソードはそんなに面白くないんですよ。大学で日本画コースに進もうと思ったこと自体がだいぶ後なんです。生まれはごくごく一般の家庭で、ちょっと変わったことと言えば、父親母親が若いぐらいですね。20歳と19歳の頃の子で。あとは親戚のおじがロイヤルコペンハーゲンの絵付け師をやっていたぐらいでしょうか。日本人初だそうです。家族で特別なことはそれくらいですね。
PDS それくらいって! すごいじゃないですか!! ところで、岩泉さんは昔から絵を描いていたんですか?
岩泉 絵は好きでよく描いていたと聞いていますけど、特段うまいわけでもなかった。むしろ、何よりも大好きだったのはゲームでした。FF(ファイナルファンタジー)、ドラクエど真ん中世代で、いつかゲームに携わる仕事をしたいなと思っていましたね。だからスライムを描いたりとか、FFの召喚獣を描いたりとか。
PDS あ~そういう世界観が入り口なんですね。
岩泉 中学ぐらいから「そういう仕事をやる!」と頭の中に何となくあったんですけど、高校受験のときに目指していた芸術系高校の偏差値が高くて諦めました(笑)
PDS 諦めちゃうんですね!?
岩泉 でも、「美術系の高校に行かなくても芸大美大には行けるから、普通の高校で勉強したほうがいいよ」と美術の先生に言われて。結局、家の近くの学校に進学して、高校三年生になってようやく美大受験の予備校に通いはじめました。
PDS 高校三年生で始めるのはどちらかというと遅いですよね。
岩泉 遅いですね。早い子たちは高一から行きますから。僕はいつもスロースターターなんです(笑)。当時は私大の花形であるデザイン科を志望していたんですが、現役のときは受からなくて一浪しました。受験科目には小論文もあって、その対策の勉強をしていたときにあることに気づいたんです。
PDS それは?
岩泉 小論文で書くテーマを探していたときに、ふとテレビをつけたら『美の巨人たち』で日本画家の巨匠である川合玉堂さんの特集をやっていたんですが、作品を見て驚きました。「FFで描かれる背景の世界観そのままじゃん」って。
PDS そこに結びついていくんですね。
岩泉 雑誌でゲームの背景やアニメのセル画を描いている方のインタビューを読むと、意外に日本画科や油画科出身も多いので、じゃあデザイン科じゃなくて、日本画科を目指してみようと。そうして一浪した後に京都造形芸術大学に進学しました。
PDS 日本画が好きだったんですか?
岩泉 いや、日本画そのものにはあまり興味はなかったです(笑)。そもそも、日本画科に入ったはいいものの、日本画で使う岩絵具とか膠(にかわ)なんて触ったことがなかった。そんなわけで、大学に入って日本画の勉強を始めて、「この使いづらい素材は何だ? わけわからん」と。
PDS 日本画専攻でもそれくらいの知識量で大丈夫なんですか!?
岩泉 入学時に知識のある子は一部で、大半は僕と同じレベルですね。基本的に入学してから初めて触るという感じ。最初は授業で教えてくれるんですけど、先生たちの説明がバラバラで言われた通りにやっても上手くできないし、全然理解できなかったこともありました。
PDS 学校では技法を教えてくれるんですか?
岩泉 そうですね。それと並行して自分でも本を漁ったりして調べ始めたんですが、とある非常勤の先生に出会ったことをきっかけに、ゲームデザイナーからいまの道へと進むことになるんです。
PDS 「運命の出会い」ですね。
岩泉 その先生は俳優の藤村俊二さんみたいな、ちょっと飄々とした感じの年配の方。当時インターネットがちょうど普及し始めた頃で、先生たちのことをネットで調べてみたらすごい人物だった。みんなそんなことしないんですけど、先生に「すごい人なんですね」って話しかけてみたら仲良くなって。
PDS 画材屋の話もそうですが、年上に好かれるタイプなんですね。
岩泉 周囲から通称「じじ転がし」と呼ばれています(笑)。それで、他の学生にはあんまり教えない技法のことを教えてくださるようになって、それがゲームのアイテム探しみたいで楽しくて、どんどんのめり込んでいったんです。
PDS FFでいうところのエクスカリバー※を手に入れるための情報集めだ。
(※ゲーム内の貴重なアイテム)
岩泉 そんな感覚です(笑)
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