Plan・Do・See(以下PDS) 為末さんは現役を引退されてからも、ビジネスシーンの第一線でご活躍されています。同じような働き方をするアスリートが今後さらに増えてくると予想されるなかで、アスリートの「キャリア形成」について考えをお聞かせください。

為末 スポーツアスリート界では国内外問わず、「セカンドキャリア」について色々と問題が起きています。IOCのアジェンダとして掲げられていたりもするんですが、これまで引退後のアスリートのキャリアについてはすべて「自己責任」でした。

PDS 自己責任にどういった弊害が出てくるのでしょうか。

為末 アスリートの引退後に起こる問題は大きくふたつあります。ひとつはアスリートとしてのアイデンティティを失い、幸福感が減少してしまったり、生きる目標を見失ってしまったりすること。

PDS サラリーマンで言うところの燃え尽き症候群のようですね。

為末 もうひとつは、現役時代に培ったスキルと、社会で求められるスキルが噛み合わずに、金銭的に十分な稼ぎを得られないということ。優秀なアスリートは、それなりに国のお金をつかって強化しているので、そういった選手が引退後に活躍できない状況というのは、社会的にも人材的にも損失になってしまっています。

PDS たしかに優秀な方が社会で活躍できないのは大きな機会損失につながりますね。

為末 さらに、日本独自の課題もあります。それは「企業スポーツ」と呼ばれる世界的に極めて稀なシステムで、20歳から25歳までの競技人口がすごく多いんです。

PDS 海外に企業スポーツがないのはなぜでしょうか。

為末 海外では大学を出る頃までに芽が出なければアスリートとしての未来がないと同義なので、そこで辞めてしまうんです。人生設計としては海外のほうがよい気もしますが、言い換えると、その問題が解決できると日本がグローバルスタンダードにもなり得るんです。ここに取り組むのは面白いなと思っています。

PDS たしかにそうですね。20代のセカンドキャリア問題を解決したケーススタディができると、世界のスポーツ業界はさらに盛り上がりそう。解決策を考えていくにあたって、とくに引退前後には柔軟な思考やマインドセットが必要になるかと思います。そこには、家庭環境や両親の教育に依るところもあるかと考えているんですが、為末さんご自身はどのように感じていらっしゃいますか?

為末 母親は専業主婦ですし、父は地方の広告代理店勤務と、いわゆる普通の家庭だったので職業が影響していることはなさそうですね。ただ、ふと考えてみると、子どもに選択権があったことは大きいかもしれません。

PDS 好きなことをさせてもらえたということでしょうか。

為末 そうですね。高校や大学進学のときなど、人生の選択に対して親は必要以上に介入することなく、自分の決めたことをやらせてもらっていました。

PDS いまでこそ、子どもの自主性を育てると言われるようになりましたが、ご両親はそのときから同じような考えをお持ちだったんですね。

為末 たとえば、思い通りに仕事だったり人生だったりがうまくいかないと、「あのとき親がこう言ってくれなかった、こうしてくれなかった」とか、両親のせいにする子どもがいますよね。でも、僕は人生の選択のプロセスに自分しかいなかったので、たとえうまくいかないことがあっても親を責めることができないんです。

PDS 自分で決断したことだから責めようがないですよね。

為末 だから現役を引退するときも、人生の選択ということに対して他の選手よりは当事者意識が強かったのかもしれません。引退したら、セカンドキャリアでは自分の力で食べていかなきゃいけないとか、誰も助けてくれないという感覚はすごく強かったと思います。

PDS 数多くいるアスリートのなかでも為末さんは輝かしい成績を残しましたし、有名人でしたよね。そんな状況でも、引退前後に食べていけるか不安はあったんですか?

為末 そうですね。たとえば、リオオリンピックではたくさんメダリストが出ましたよね。

PDS はい。

為末 そのなかでどれだけ選手の名前覚えています?

PDS ……ほとんど覚えていないですね。

為末 つまり、アスリートの世界というのはどれだけ活躍して世間を賑わせても、「いま」しか注目されないんです。有望な若手アスリートもどんどん出てきて、世代もすぐ変わっていきますし。ただ、それが悪いということではなく、人間の興味としてしょうがないことなんです。

現役のときにアメリカに住んでいたことがあって、3、4ヶ月に一回、日本に帰って来ていました。その度にテレビに出ている人が毎回入れ替わっているのを見て、「あ、これは現役を引退したら未来に保証がないな」って感じたんです。だから現役のときの栄光が未来に役立つとも思わずに、自分でなにかしなきゃいけないとは考えていました。

PDS 家庭で養われた自主性と、アメリカでアスリートとしての需要を客観的に見ることができたわけですね。

為末 運がよかったと思っています。

PDS ただ、そうした考えを持ちながらも、現役と引退後というのはガラリと生活が変わることになると思うんですが、気持ちの切り替えはうまくできたものなんでしょうか?

為末 いやいや、そうなることは予想していても、やっぱり不安でしたね。現役のときは足が速かったので社会に価値を提供できていましたが、いち社会人になったときに果たしてそれができる人間だろうかと。実際、そこで心が折れてしまうアスリートも少なくないんです。なので、もうひとつ武器を持たなくてならないなと必死でやりましたね。