【3】人との巡り合わせの引きは強いのかな

Plan・Do・See(PDS) 大学時代にその先生以外にもお世話になった人はいました?

岩泉 僕にとってもう一人のキーパーソンがゼミの先生です。色々と学んでいるうちに、保存修復という仕事があると知ったんです。

PDS 絵を直すということですか?

岩泉 その通り。おもしろいのでその道に進もうかとも思ったんですが、なかなか狭き門だし、作家を目指す友人たちの影響を受けたこともあって、絵を描くことで食べていきたいなと思って。

PDS そうは言っても、それだけで食べていくのはなかなか厳しいですよね。

岩泉 なので副業みたいなことはした方がいいなと。ちょうどその頃、日本画界では江戸時代あたりの薄塗りスタイルに回帰していて、その時代の技術を掘り起こすのが結構ブームになっていたんです。

PDS 日本画界にもブームとかあるんですね。

岩泉 せっかくおじいちゃん先生から学んだ技術もあるので、じゃあ日本画を教える仕事しようと思ってゼミの先生に相談したら、博士過程まで行って「技法材料」を研究してみてはと助言があったんです。技法材料というのは、作品に使われている技法や材料、成り立ちなど作品背景を考究していく分野で、ゼミの先生が専門とするところです。

PDS 技術を学んでいたところから研究の分野へと移っていったんですね。

岩泉 それで日本画の技法材料について興味を持って調べていったら、なんとほとんど情報がなかったんです。実は先生たちすら分かっていないことが沢山あるのが日本画の状況で、これまでその分野にはちゃんとした研究者もいなかった。つまり、誰も手をつけていないブルーオーシャンだったんです。

PDS 日本画ってそんな状況だったんですか!? それってなぜでしょう?

岩泉 バブル時代に何も説明がなくても作品が売れたから、というのが一つの要因です。技法なんて研究しなくてもよかったし、文献もほとんど残っていなくて、弟子にも伝承されずにここまで来てしまった。でも、日本を代表する日本画家の東山魁夷さんをはじめとした大先生たちはものすごく研究していたし、師匠から厳しく叩き込まれてきた世代なんですよ。でも、それがどこかでうまく受け継がれずに途切れてしまった。

PDS 伝言ゲームみたいですね。

岩泉 そうなんです。だから、さらに下の僕たちの世代は正しい情報を得るのが大変だったりします。

PDS 原因は何なんでしょうか?

岩泉 要因は色々ありますが一つに戦後に徒弟制度がなくなったということに起因しています。かつては弟子として師匠の家に住み込んで技を「見て盗む」ものだったのが、大学で「授業」になった。でも、大学には教員用のアトリエはないので、あくまで指導だけにとどまってしまう。

PDS そっか、どう作っているかは見られないんだ。

岩泉 そう。先生にとっては当たり前の技術が、学生にとっては全然当たり前じゃなかったりする。あるいは、自分が描いている工程の中で先生から教えてもらっても、「詳しく知りたいのでイチから説明して下さい」となっても抜け落ちてしまうこともあるし。

PDS 本来はそういった技術を「見て盗め」ってことだったんですね。

岩泉 僕は幸いにも先生や画材屋さんに細かく教えてもらいましたが、「あともう10年俺が若かったら教えてない」とか言われることもあります。それこそバブルの時期なら技法を教えなくても勝手に売れる時代だし。

PDS タイミングがよかったんですね。

岩泉 僕はたぶん人との巡り合わせの引きが強いんです(笑)

PDS この業界は、門外不出みたいなものがそんなに多いんですか?

岩泉 多いですね。僕なんかは結構知らないことだらけだから、新しく発見したら、「いや、それ当たり前やで」って言われて「えー!? やっとここにたどり着いたのに!? ていうか早く言ってよソレ」みたいな。

PDS じゃあ「PIGMENT TOKYO」でやっていることは、時代が生んだ日本画界のブラックスボックスを紐解いてあげているということですか?

岩泉 そんなところですかね。

PDS なぜまたそんな大変ことに取り組もうとされたのでしょう。

岩泉 たぶん、誰もやらないから、ですね。僕のスタンスとして先陣切ってやっている人がいたら全部お任せするというのがあります。なので、やりたくてやっているというより、「誰もやらないから仕方なくやっている」と表現したほうがしっくりくる。

PDS 「誰も手を付けてない分野で一番になりたいから」ではないんですね。

岩泉 そうですね(笑)ただ、仕方なしとはいえ、当然イヤイヤではなくて、「誰もやらないんだったら、自分が一肌脱ぐか!」という前向きな気持ちです(笑)

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