年に一人、草の根の活動家を支援

Plan・Do・See(PDS) お二人には私たちの社内講演会にもゲストと一緒に来ていただいていて。「この地球は、私たちの子どもたち、子孫の世代から借りているもの」っていう言葉など、本当にそうだなって。心が動かされる時間でした。

濱川明日香(明日香) そう言っていただけると、うれしいですね!

PDS お二人が取材を受けたインタビューや、発信されているブログなども読ませていただいて。素晴らしいことを成し遂げる背景にどんなプロセスがあったんだろう?と思って、今日はお仕事とは少し離れた内容も伺いたいです。

濱川知宏(知宏) いいですね。よろしくお願いします。

インタビューの収録は、東京都指定有形文化財・旧グランドプリンスホテル赤坂 旧館をリノベーションした「赤坂プリンスクラシックハウス」で行った。
インタビューの収録は、東京都指定有形文化財・旧グランドプリンスホテル赤坂 旧館をリノベーションした「赤坂プリンスクラシックハウス」で行った。

PDS そうは言っても、濱川さんご夫婦を初めて知る読者もいらっしゃるはずなので、まずはあらためて今手がけてられているお仕事の紹介からお願いします。

明日香 私たちはEarth Compnayという一般社団法人を4年前に設立しました。「次世代に残せる未来をつくる」というのをビジョンにしているんですね。世界中に社会課題や環境課題がはびこっていて、世界全体として取り組んでいかないと存続できない時代、私たちの子どもたち、孫たちの世代に未来を引き継いでいけるようにという思いです。

PDS うんうん。

明日香 そのためにしているのが、社会変革を起こせる人や団体を育成して支援するということです。具体的にやっている事業のうち、一番大きいのが「チェンジメーカー」の支援です。

PDS チェンジメーカーって、どんな人たちですか?

明日香 もともと社会変革を起こす力を持っている方。生まれながらにして並外れた変革力を持っている人たちですね。「この人に未来を託せば大丈夫」っていう地域の希望を背負っている人たちが世界にたくさんいるんです。

Earth Companyでは毎年一人を「インパクト・ヒーロー」に選出、1,000万円以上のファンドレイジングなど、3年間を通じて支援する。2016年に選ばれたブミセハット国際助産院代表のロビン・リムは、「現代のマザー・テレサ」とも呼ばれる助産師。インドネシア、フィリピンや世界各地の被災地で 貧困、紛争、災害などの理由で医療を受けられない妊産婦・一般患者に対し365日、24時間、無条件に、医療ケアを無償提供する。
Earth Companyでは毎年一人を「インパクト・ヒーロー」に選出、1,000万円以上のファンドレイジングなど、3年間を通じて支援する。2016年に選ばれたブミセハット国際助産院代表のロビン・リムは、「現代のマザー・テレサ」とも呼ばれる助産師。インドネシア、フィリピンや世界各地の被災地で 貧困、紛争、災害などの理由で医療を受けられない妊産婦・一般患者に対し365日、24時間、無条件に、医療ケアを無償提供する。

PDS でも、その人たちの活動にはお金が必要ですよね。

明日香 そうなんです。でも、途上国でグラスルーツ(草の根)のアクティビストとして活動している人たちは、財団の支援とかODAになかなかありつけなかったりするんです。その人たちを支援するというのが、最もメインにやっていることです。

PDS その他には、どんなお仕事を?

明日香 社会に変革を起こしたいものの、どうしたらいいのかわからない人の育成や支援もしています。日本にも変革を起こそうと頑張っているけれど、今は壁に当たってつまづいているという若い社会起業家たちがたくさんいるんですね。それに加えて、財政的についていかないNPOやNGOに対しての支援もしています。

Earth Companyが拠点を置くのは、世界的に注目される社会企業や社会起業家が集まるインドネシア・バリ島のウブド。自然豊かな環境で、ソーシャル・イノベーションの研修プログラムやスタディツアーなどを提供している。
Earth Companyが拠点を置くのは、世界的に注目される社会企業や社会起業家が集まるインドネシア・バリ島のウブド。自然豊かな環境で、ソーシャル・イノベーションの研修プログラムやスタディツアーなどを提供している。

知宏 私たちはお互い別々に10年くらい国際開発だとか、NPOの活動、災害支援といった仕事に携わってきました。その中で「本来は支援されるべきところが支援されていない」という状況を見てきたんですよ。

PDS そうなんですね。

知宏 途上国の問題というのは難しさもあって、私たちみたいな部外者が最前線に出ると、逆にいろんな問題が発生してしまうこともあるんです。だから、すでに活動を始めている人たちのサポートをするかたちにしたんですね。

PDS どういう問題が起きちゃうんですか?

明日香 例えば、外国の政府や国際機関の援助で橋がつくられたとしますよね。完成後には技術者が帰ってしまって、いざ壊れた時には地元に残った人たちがメンテナンスの仕方さえ知らない。修復できず、そのまま壊れたものだけ残っていくような支援もかつてはたくさんあったんです。

PDS あらら。

明日香 そうではなく、その土地の文化とか歴史背景に一番適した支援のあり方はあるはずです。その方法は、現地の人たちがよく知っているに決まっていますよね。その人たち自身が自分達の未来をつくっていけるのが一番理想ですから。

知宏 そのコミュニティのリーダーたちが、ちゃんとメンテナンスだとか、コミュニティの面倒を見るやり方は時間がかかるかもしれないけど、長期的なインパクトを持続的に残せると思うんですね。

大学入学前に訪れたフィジーで受けた衝撃

PDS 今のような仕事をしようという思いに至った理由を今日は知りたいと思って来ました。いったい、何がきっかけだったんだろうって。

 

明日香 それぞれに原体験があるのでロングストーリーになりますけど(笑)

知宏 私はアメリカの高校を卒業して、大学へ行く前にコミュニティサービスというプログラムでフィジーに初めて行って。単に「村に住む」という3週間の体験でした。

PDS 大学の入学前カリキュラムですか?

知宏 いえ、個人的に民間の団体で申し込みました。いろんな国が選べたんですが、なぜかフィジーに惹かれて「行きたい!」と思って。

PDS そういう大胆なことができるのって、ご家庭の環境がそうだったから?

知宏 どちらかと言うと逆です。うちの父は元々銀行員で、とてもカタい感じの人物で(笑)。家庭内にリベラルな発想があったっていうわけではないんですよ。

PDS じゃあ、なんでそっちに関心が向いたのかな?

知宏 どうしてでしょうね。太平洋の南の島の雰囲気に、昔から少し憧れはあったとは思いますけど。

明日香 大きい家族とか、笑いの絶えない家庭とか、幸せなイメージに憧れがあったんじゃない?

知宏 うーん。いつも笑いの絶えない村みたいな感じな雰囲気への憧れは、深いところであったかもしれないですね。

明日香 東京で核家族の中で育った人間には、フィジーみたく村の大人全員で村の子どもたちを育てるみたいな土地への憧れはあったのかも。

知宏 ただ行く前の段階では、フィジーがそういうところだとは知らなかったからね。行ってみたら、電気も水道も通ってないような村でホームステイしながら、農作業を手伝うような体験をしたんです。

PDS きっと、カルチャーショックも大きかったのでは?

知宏 それはもう。それまでニューヨークや東京で過ごしていたシティーボーイですから(笑)。初めて途上国の貧困に触れて衝撃的でした。ただ、貧しさに衝撃を受けたのではないんです。

PDS と言うのは?

知宏 もちろん物質的には豊かではないんです。電気もテレビもない。その時は98年くらいでしたが、もちろんケータイもない。夜はただみんな輪になって話したり、「カバ」っていう飲み物を飲んだりして時間を過ごす。でも、すごく楽しそうなんですよね。みんな温かいし、優しいし、とにかくハッピーで。

PDS その姿に衝撃を受けたんだ。

知宏 そうです。いざ都会に帰ってみると、モノはあふれているけど、電車に乗っている人たちはみんな暗い顔をして。人生つまんなそうだな、これじゃあうつ病も蔓延するよと。

PDS そうかぁ。

知宏 物質的な豊かさと、精神的な豊かさは反比例するんじゃないかって。途上国の人たちを支援したいと思っていたのに、このギャップは何だろうと。それを知りたいという好奇心が先に来て、人類や社会、経済発展について学ぼうと思い始めたんですね。

PDS すごい好奇心というか、探究心!

知宏 それで、大学の間はアフリカのボツアナでインターンシップしたんです。こういうことが原体験となって、今の方向に歩んで行きました。

海外へ出たくてしょうがなかった

PDS 明日香さんは、どういう原体験があって、今のお仕事までたどりついたんでしょう?

明日香 いくつか原体験はあるんですが、中学3年生での経験は大きかったです。当時、近所の小さい子たちにピアノを教えていたんですよ。それでちょっと収入があったんです。

PDS すごいですね、中学生でもう!?

明日香 とは言え、月三千円とかですよ(笑)。お金の使い道がなかったので「どうしようか」と思っていたら、母が「ユニセフにでも寄付したら?」って。

 

PDS お母様のその発想も、なかなか珍しいのでは。

明日香 母は音楽療法士だから、弱者に寄り添うといったことに関心を持っていた人なんだと思います。

PDS そうかぁ。

明日香 それでドネーション(寄付)し始めて。まだメールがない時代だったから、郵送でニュースレターが月に1回送られて来たんです。読む度に衝撃的でした。宗教上のいろんな対立とか、貧困や飢餓などによって、世界中でどれだけの子どもが亡くなっているのかを知ったんです。

PDS 世界の現実を中学生で知って、ショックを受けちゃった。

明日香 だから「よし、国連で働こう」と思って。国連にどうやって入れるんだろうって図書館で本を借りて読みました。留学したかったので、ボストン大学で国際関係論を学んだんです。

PDS 留学したかったのは、海外への憧れもあったんですか?

明日香 私、日本を出たくてしょうがなかったんですよね。ラテン系の性格で、歌いたかったらいつでも歌うし、踊りたかったらどこでも踊るといった子だったんですよ(笑)。でも、周りの子からすると違和感満載だったんでしょう。小学校の時にいじめにあって、何学期か学校へ行っていない時期もありました。

PDS そうだったんですか。

明日香 今に比べて打たれ弱かったから。日本の学校がもう狭くて、息苦しくて。留学したい!ってすごく思っていて。国際関係だけでなく、音楽方面に進む道も考えたんですね。高校の時、渋谷のクラブでR&Bのシンガーだったんですよ。

PDS ええ〜っ! なんていうか、すごい振れ幅をお持ちです。

明日香 大学に入ったら、今度はビジネスへの興味も湧いてしまって。結局、国連に就職することなく、インターンからアメリカのコンサル会社であるプライスウォーターハウスクーパースの東京オフィスで働くことにしたんです。大学が5月に終わって入社が翌年の4月で時間がたっぷりあったから、ポリネシアを一人旅で周ったんですね。

気候変動がもたらす恐怖を肌で実感

PDS ポリネシアを目指したのは、まだ出会っていない知宏さんと同じですね。

明日香 そうです。私はタヒチアンダンスやフラダンスなど、ポリネシアの踊りを見るのが元から好きだったんですよね。私の祖父母がハワイ出身で、小さい頃はよく家族でハワイに遊びに行っていたから。それでこの機会に、フィジー、トンガ、サモアと半年かけて周りました。

PDS じっくり周ってみて、どうでした?

明日香 サモアでは電気もないし、水も通ってないようなところにいました。そこでの自給自足の暮らしが楽しすぎましたね。で、ここからの感想はさっきのトモとは違うんですけど。

知宏 (笑)

明日香 生きることを全部自分でしないといけないってなった時、もう1日すっごい忙しいんですよ。朝起きた瞬間から寝る時まで、トイレ行こうと思っても水ポンプで汲み上げないと流す水はないし。ご飯をつくるのは、薪割りのところからだし。

PDS それって、現地の女性目線かもしれないですね。

明日香 ただ、それがすごく楽しくて。初めて「生きてる」って感じがしたんです。その横で、男の人たちが手漕ぎカヌーで釣ってきた魚の大きさ自慢とかくだらないことやってるんですけど。「俺のほうがデカいぞ!」とか。

PDS 男の子って感じ(笑)

明日香 一方で目の当たりにしたのが、気候変動の影響による海面上昇で沈みつつある、太平洋の島国の現状でした。私がいた村は、細長い半島の上にあったんです。右向いても左向いても海。満月や新月になると、潮が高くなってドーッと波が半島を横断していくんです。

PDS その時、明日香さんは?

明日香 高床式の小屋に寝泊まりしていました。「いつここに波が入ってくるのか」とドキドキしながら。土が見えなくなっていき、家が海の上にポツンポツンと水上コテージみたくなります。最初は子どもたちもキャッキャッと楽しんでいるのに、だんだん恐怖に駆られてヤシの木に登り始めたりするんです。

PDS その怖さって、体験した人でないとわからないんでしょうね。

明日香 逃げ場がない状態で生命の危機に直面するって、こういう恐怖なんだなと。これを月に2回ずつ、この人たちは味わってるんだと思って。その度にタロイモ畑も塩害で全滅してしまうし、家はどんどん腐っていくし。

PDS 移住は検討しないんでしょうか。

明日香 その半島に元々は4つの村があって、そのうち3つは山側に移住しているんですよ。昔、人が住んでた家がジャングルみたいな状態でゴーストタウンに残ってるんです。「これって人類の未来なのかな」と。こんなに豊かで、こんなに笑ってる人たちの暮らしが水没していくんだって思ったんですね。

PDS:うーん……。

明日香 私たち先進国が今のような生活をするために二酸化炭素を排出して成長してきた裏で、こういう人たちが犠牲になるんだっていうのを目の前で見た時に、もう自分の国がすごく情けなくなったし、何か責任を取らなくちゃって思ったんですよね。それが私にとっては、今の仕事への一番強い原体験です。

マーシャル諸島大学の講師であり、詩人で気候変動活動家のキャシー・ジェニトル・キジナーを2017年のインパクト・ヒーローに選出。14年の国連気候変動サミット開会式で娘のために書いた詩を朗読し、世界から賞賛を受けた。現在はNGOジョージクムを立ち上げ、気候変動の危機に直面するマーシャル諸島の若者たちに対して、自らの未来や文化を水没から守れる変革者となれるよう教育・啓蒙活動をしている。
マーシャル諸島大学の講師であり、詩人で気候変動活動家のキャシー・ジェニトル・キジナーを2017年のインパクト・ヒーローに選出。14年の国連気候変動サミット開会式で娘のために書いた詩を朗読し、世界から賞賛を受けた。現在はNGOジョージクムを立ち上げ、気候変動の危機に直面するマーシャル諸島の若者たちに対して、自らの未来や文化を水没から守れる変革者となれるよう教育・啓蒙活動をしている。

PDS 責任を取らなきゃ、ってアクションを起こせる明日香さんたちのような人は、私たち普通の人とはどこが違うんだろう。

明日香 おそらく受けた衝撃の強さですよ。「私、このまま沈むのかな」っていうあの恐怖を体験したら、誰しも自分の中で大きく変わるものがありますから。あとは感受性かな。私はちょっとビンビン過ぎて(笑)相手の傷を自分のことのように感じてしまう。それから、自分がしたいこと以外はできないっていう不器用さもあるのでは。

PDS えっ、不器用さ?

明日香 本当は自分がしたいことがあったり、志すことがあったりするのに、自分に嘘をつきながら他の仕事ができるほど器用な人間じゃない、という意味です。志す仕事がお金にならないかもしれないし、身体を酷使するかもしれなくても、それをやらないと気が済まない。この性格は私もトモも同じなんです。

知宏 同感ですね。

PDS いわゆる社会人になる前の一人旅は、進路に影響を与えましたか。

明日香 いえ、かえってその気候変動をつくり出したビジネス、資本主義というものを学んでみようという気になりました。どういうマインドセットがこの地球最大の危機と呼ばれる問題をつくり出したのか。それを見るため、私はそのまま内定を受けてコンサルに就職しました。

 

>>【後編】回り道をして、人は天職にたどり着く につづく