思いがけない一言で目標が定まった

Plan・Do・See(PDS)  アトランタオリンピックの2年後、岩崎さんは1998年に競技者としては現役を引退なさいましたよね。今が2018年なので、もう20年経ったわけですが、競技人生を終える時、現在の仕事や生活のイメージはあったんですか?

岩崎 私は全くなかったです。

PDS 全く?

岩崎 今も20年後にどうなっているか……あまり考えてないですね(笑)。1つ1つ、目の前のことをやっていくタイプかもしれないです。でも、現役選手を辞めても水泳と関わっていくんだろうな、とは早くから漠然と思っていて。そのことに気づかされた出来事があったんです。

PDS それはどんなことだったんですか?

岩崎 ある時、中学校か高校か忘れてしまったんですけど、講演に行ったんです。「自分の可能性に限界を感じずに、目標を持つことが大事」といった話をしたんですね。そうしたら、生徒の一人から「岩崎さんの今の目標は何ですか?」って聞かれたんですよ。

PDS 逆質問だ。

岩崎 うわーっ、と一瞬戸惑ったんですけど、正直に「今日みんなにそうやって言っておきながら、私は自分が目標と思えるものを持っていませんでした。でも、たった今決めました。それは『これからずっと水泳と携わっていくこと』です」って。

PDS 思いがけない一言が人生を決めたんですね。自分が本当に持っている目標とか夢って、なかなか自分自身でも気づけないことも多いですから。

岩崎 そうなんですよ。それ以来、ずっと自分の目標をそう考えています。水泳への携わり方にもいろいろあるので、それ自体はその時々に決めればいいというスタンスです。真面目な方には、ちょっといいかげんだと思われちゃうかもしれないんですけど(笑)

PDS いやいや、そんなことないですよ。

岩崎 その前段階として、2002年から1年間、またアメリカに研修で行ったのは大きかったです。ちょうど「これから何をしていったらいいだろう」とモヤモヤしていた時期でした。

PDS アメリカでは何をなさっていたんですか?

岩崎 JOC(日本オリンピック委員会)の在外研修だったんですが、指導の勉強をするためにスイミングスクールで実践形式のレッスンをしていました。生徒の子どもたちから「コーチはオリンピックで金メダル獲ったの? すごい!」と言われたり、「キョーコの写真をインターネットで見た!」と言われたり。

PDS その頃、インターネットが一般に普及していった時期ですよね。

岩崎 それが冷やかすのではなく、本当に心から「すごい」と言ってくれる感じで。アメリカって、人を褒めることが当然な社会じゃないですか。ホストファザーに「今日の洋服かわいいね」なんて、ごく普通に声をかけられて。

PDS レストランですれ違っただけでも言われますもんね。「その靴、いかしてるね」とか。

岩崎 すごいものはすごい、でもダメなものはダメ、それがハッキリしている(笑)。そういうことって、それまでの1カ月ほどの遠征では感じられませんでした。1年の経験でアメリカの良さも知ったし、さらに日本の良さも分かりました。いい意味で「いいかげん」にならなきゃいけないっていうところも覚えられたんです。

PDS 肩に力を入れ過ぎずに。

岩崎 日本は電車でも宅配便でも、なんでも全部キッチリしているじゃないですか。アメリカは譲らないところは譲らない、けれども大きく人を許したりするような価値観があります。だから、ちゃんと自分の意見を話すことが大事だなって。それまで、なんとなく「私だから許せてもらえること」も正直あって。

PDS:そうかそうか。なにしろ金メダリストですからね。

岩崎 今でもそんな時はあって、こちらが言わなくても手伝ってもらえるような扱いを受けるんですけど「それもいけないんだよな」と思えるようになりました。

自分で決めたことには納得できる

PDS そういった時期を経て、いわゆる社会人になっていく中で、自分で「こういうことがやりたい」とお仕事を取りにいったというよりは、目の前にいろんなお仕事や機会が降ってくるのをこなした感覚のほうが近かったですか。

 

岩崎 そうですね。だから、すごくラッキーだなって。最近、私は思うんですけど、自分は「ラッキー人生」を送っているなって。

PDS ラッキー人生?

岩崎 向こうからやってきてくれるっていうか。ちょうどいいタイミングで人も助けてくれるし、それはすごく恵まれているなって(笑)

PDS 自己分析すると、なんでそういう風になるんでしょうね。

岩崎 家族に対しても、周りの人に対しても、やっぱり感謝するところは感謝するし、いいところもいい、って言うことを私なりにやっているからでしょうか。そうは言っても、その中で合わない人が出てくるのは当然で、それは仕方がないって捉えていますね。

PDS 今、ご結婚なさって10年くらいですか。

岩崎 それぐらいになりますね。

PDS 同じくアスリートだったご主人との関係でも、許せないことなどあります?

岩崎 そこは、どの夫婦でもお互いに譲れないところはありますからね。

PDS お二人ともお仕事を忙しくなさっていますが、お互いのお仕事とか、その先にあるお仕事上の未来に関して、あまり干渉しないですか?

岩崎 お互いに好きなことをやっているので、しないです。でも、娘から「ママにはお仕事を辞めてほしい」とたまに言われることがあって……。

PDS あらら。お子さんから気づかされることは多いですか?

岩崎 それはもちろん。娘が生まれてからは、初めて「代わってあげたい」と思える存在ができました。自分の子どもっていうのは、不思議ですね。

PDS 逆に、娘の立場でこれまでを振り返った時、お母さまが周囲から「恭子ちゃんって素晴らしいわ」「すごい水泳選手ね」って言われ続けたと思うんですよ。そんな時には、どういう反応をしていらしたんですか?

岩崎 私の母は、そういう言葉に関して謙遜しなかったですね。

PDS 全然?

岩崎 ええ。「あら、ありがとう」という感じだったから、私にとっても良かったんだなと思って。たまたまこういうお仕事をしていると教育者の方とトークショーをさせていただいたり、自分でも育児書などを読んだりする中で分かったんですが、子どもって、まず親に一番認められたいと思うものなんですね。

PDS あぁ、そうかもしれないです。

岩崎 それなのに、日本って謙遜の文化だから「何々ちゃん、すごいね!」とか褒められても「いや、そんなことないない」って親が言うじゃないですか。もちろん自分の子だからという責任はあるけれども、母は私を一人の人間として育ててくれたって思うんですよね。

第4回「朝日新聞2020シンポジウム」にて「ボランティアから得られるもの」をテーマにパネルディスカッション。岩崎さんは高校生の時に遠征したスウェーデンのプールで、障害者の泳者に周囲の人たちが自然と手を貸していた姿に驚いたという。=2018年7月7日午後、東京都千代田区  ©朝日新聞社/アマナイメージズ
第4回「朝日新聞2020シンポジウム」にて「ボランティアから得られるもの」をテーマにパネルディスカッション。岩崎さんは高校生の時に遠征したスウェーデンのプールで、障害者の泳者に周囲の人たちが自然と手を貸していた姿に驚いたという。=2018年7月7日午後、東京都千代田区  ©朝日新聞社/アマナイメージズ

PDS じゃあ、娘さんにも同じことを。

岩崎 そう。私はそれを当然のようにしてもらえたから、娘にもそうでないといけないな、って思うし。だから、娘の前でネガティブなことは言わないようにしています。

PDS アメリカでの経験が生きているんですね。

岩崎 もう1つ良かったのは、習い事を選ぶのでもなんでも、子どもに決めさせてくれたことです。途中で辞めたくても「だって、自分で決めたじゃない」って母に言われて(笑)。自分で決めたからこそ納得ができる。

PDS そう思います。

岩崎 私の場合は「あの時、親にこう言われたからこれができなかったんだ」というのがないんですよ。

PDS なるほどね。

日本の競泳陣が強くなったわけ

PDS 最近のお仕事について、最後に伺ってもいいですか?

岩崎 先日の8月下旬にアジア大会があったので、現地へ10日間行っていました。

PDS インドネシアのジャカルタでしたよね。見てましたよ。

岩崎 ありがとうございます!

PDS アジア大会は、競泳陣がすごかったじゃないですか。どうしてあんなに強くなれたんですか?

岩崎 オリンピックを基準に4年おきで考えると、前回は萩野公介選手が出て、その前の前は北島康介選手が出たという具合に、ここ何年かでスター選手が出てきているんですね。

PDS じゃ、今あれだけ強いメンバーが揃っているのは、彼ら、彼女たちが水泳を志したときに、何か目標になるような人がいたということですね。

岩崎 ええ。池江璃花子ちゃんでしたら北島康介くんを見て育ったと思いますし、北島くんは私を見ていたって言ってくれます。そういう意味では、私の前は鈴木大地さんです。

PDS 今やスポーツ庁長官です。

岩崎 そうですね(笑)。強い選手がいれば、世間はその競技に注目してくれますので、そういう意味で選手の強化もうまくいっているんじゃないかと感じています。東京オリンピックも控えているから、水泳は注目度がさらに高まっていて、報道の数も全然違います。

PDS すごいメディア露出ですから。

岩崎 本当に。私の仕事量も今までにないぐらいです(笑)。アジア大会の前には東京でパンパシフィック選手権があったので、そちらへも行っていました。これは直接のお仕事というより、情報集めのための取材です。

PDS 非常に忙しくされている感じですね。

岩崎 やはり2020年が迫っているからです。そういうお仕事以外にも、オリンピック・パラリンピックの協力依頼もあって学校を訪問する機会が多くなっています。先日は台東区の学校で着衣泳を指導させて頂きましたし、日本全国に行っています。

水泳教室で指導する岩崎さん。泳ぐ楽しさを伝える活動を全国で行っている。=2010年、松山市市坪西町 ©朝日新聞社/アマナイメージズ
水泳教室で指導する岩崎さん。泳ぐ楽しさを伝える活動を全国で行っている。=2010年、松山市市坪西町 ©朝日新聞社/アマナイメージズ

PDS 基本的には、水泳の楽しさとか面白さを伝える役割が大きいということですか。

岩崎 はい、そうなんです。

PDS ちゃんと「水泳にずっと携わっていく」という目標がかなっているんですね。

我が子は「人を大事にする人」になってほしい

PDS このウェブマガジンでは、学生さんや社会人の読者の方たちと一緒に「働き方」を考えたいという目標があるんです。

岩崎 とてもいいことですね。

PDS 読者の方々にでも結構ですし、昔のご自身にでも、あと娘さんに対してでも結構ですけど、今の自分だから伝えられる「働く」ことへの考え方がありましたら、アドバイスとしてお聞かせください。

岩崎 もちろん生活のために働くというのもあるんですが、私が働くのは「自分自身の成長」のためだって思っています。世の中にいろんな人がいる、いろんな価値観があるっていうのは、働くからこそ知れる。だから、自分の成長につながっているんじゃないかと思うんですね。

PDS なるほど。

岩崎 もちろん悩むこともありますし、辛いことだってあります。でも、その辛さも終わってみれば自分のためだったな、って今は思うんです。とても当時は思えなかったけど(笑)

PDS なんでこんな辛いことをやらなきゃいけないの? とか。

岩崎 そうです、そうです。仕事しながら思っていました。だけど、その中でもちょっと楽しいことがあったり、新しい価値観が芽生えたりとかしますから。仕事を通じて新しい人とのつながりもできて「良かったな」ということの方が多いから成長できるんだと思います。

PDS 先ほど20年という時間の話が出ましたけど、もし、20年前の自分に対して今アドバイスできるとしたら、なんて言いますか?

岩崎 その時々で「自分を認めてあげること」くらいかな。世の中、「こうなりたい」という未来像を持たなきゃいけないと考えている人のほうが多いと思うんですよね。でも、私はあまりそう思っていないというか(笑)

 

PDS ラッキー人生の中で、目の前に来る機会とか、与えていただく環境に対して100パーセントでやり切るみたいな感覚が強いとか?

岩崎 はい。「与えてもらったからこそやらなきゃ」っていうのはあるし、「できる限りのことはやっていこう」というスタンスでいます。

PDS 娘さんがもうちょっと大きくなって、お仕事を考え出すようなタイミングでは相談に乗ってあげますか? それとも、ご自分のお母様のように「あなたが好きなことをやりなさい」という感じでしょうか。

岩崎 どうでしょう。そこはちょっと分かんないんですよ。わかんないってすぐ言っちゃうのが私のいけないところだなとは思うんですけど……だって、正直その時になってみないと分からなくないですか?

PDS ……確かに(笑)

岩崎 あと、私は基本的に人が好きなので、娘にも人を大事にできる人になってもらいたいです。人を大事にすれば、いろいろ助けてもらえることもあるでしょうし。人を助ける人にも、助けてもらえる人にもなってもらいたいなって思います。

PDS 助けることをためらわない、助けてもらえることもためらわないというのは、おそらく表裏一体のことですよね。

岩崎 そうなんですよ。ただ、そのバランスがすごく難しいじゃないですか。助けるのもやり過ぎちゃうと、ただのおせっかいになるし(笑)。その加減を自分で見極められるようになってくれたらいいな、と思います。

PDS これは20年先へのメッセージかもしれませんね。

岩崎 そういう意味では、自分自身も悩んで、合わない人とぶつかることもあったんですね。だから「そういう考えもあるんだ」って思えるようになりたいのは、日頃から思っていることなんです。

PDS いやぁ、いい話だなぁ。今日は貴重な体験談も交えてお話しいただき、ありがとうございました。