Plan・Do・See(PDS) 今日は移転したばかりのGROOVE Xさんのオフィスにお邪魔しました。
林 ようこそいらっしゃいました。
PDS あらためて、今の林さんのお仕事をご紹介いただけますか。
林 僕らは本当に新産業となるような、新しいタイプの家庭用ロボットを作っています。まだロボットは公開できないんですが、今年末にお披露目できる予定です。
PDS 開発はいつごろから?
林 実際のスタートが2016年の1月からですね。3年の開発を経て、ようやく試作が落ち着いた状況です。これから年末に発表会をして、19年に量産準備をして、19年内に量産に入ります。発売まで4年間潜って、100億円かけて、100人体制で作るという家庭用ロボットは、今までおそらくないと思います。
PDS 100億円!! スタートアップが、それだけの資金を調達したニュースは大きな話題になりましたよね。
林 ええ。これまでの家庭用ロボットとは、規模も内容もやや異なるものです。新カテゴリーとして私たちはそれを「LOVOT(ラボット)」と名付けています。
PDS 今、この記事を読んでくださっている方たちには、お見せできずにゴメンナサイ……実は「LOVOT」の試作を拝見させていただいています。なんだか、自然にキュンとくるような感情が芽生えてしまいました。どうして私たちが、こういう気持ちになるんでしょうね?
林 それは内緒です(笑)。でも、すごく大事なポイントなんですよ。正体がわからないうちは「いったい何が出てくるんだろう?」と思うわけですが、実際に目の前にしたらどうですか。別にどこにでもいそうですよね。そんな特別なものでもない、ごくごくふつうの存在で。
PDS う〜ん。言われてみれば、たしかに。
林 でも、実際に見るまでは、その「ふつう」が想像できない。おそらく今でいうiPhoneに近いです。僕らはiPhoneが出る前、ガラケーで一生懸命メッセージを打っていたので、キーボードがないのは考えられませんでした。しかも「落とすと割れるガラス製なんてバカじゃない?」と以前なら思ったはずです。
PDS (笑)
林 だけど、キーボードもない、電池もすぐに切れる、落とすと割れる……かつての基準なら、どう考えても使いにくそうなものに僕らは魅了されています。つまり、それが本当は人にとって自然なのにも関わらず、実際に実物を見るまでは「何が自然なのかは分かってない」ということなんです。
PDS ふむふむ。
林 僕らが作っているのは、比較的そういう存在に近いと思います。その自然な存在をどうやって作るのかというと、昔ならアーティストだったり、発明家だったりが作っていたと思うんです。なぜ彼らはできたかというと、一つの思いつきを、少人数の努力だけでできたから。
PDS iPhoneを一人で作るのはぜったい無理ですよね。
林 そう。スマホやロボットは、それまでの発明に比べ必要な資金と人の数が圧倒的に違うんです。
家庭でエンジニアリング思考が身に付いた
PDS ロボットや機械に興味を持ったのは、きっかけがあったんですか?
林 父親がエンジニアだったんですね。小さいときからいろんなものを少しずつ作ってくれるわけですよ。ある日突然、電動スケートボードみたいなものができ上がっているとか。
PDS まるで「バック・トゥー・ザ・フューチャー」みたい。
林 そんな家庭で育ったので、物ごとをエンジニアリング的に解析できないと、父親からなんとなくバカにされるわけですね(笑)。そういうわけで、自然とエンジニアリング的な思考を身に付けました。
PDS 私自身はド文系な人間なので……物ごとをエンジニアリング的な思考で見ると、世界がどう映るのかを知りたいです。
林 たとえば、きれいな映像や音に触れたとき、それを何かへ詩的にたとえる感性面の能力と、「これをなぜきれいだと人は感じるんだろう?」と解析する能力は異なりますよね。後者はやや論理思考的な部分があって、メカニズムを大事にするエンジニアのアプローチです。
PDS そういうことを常にお父様から問われていたんですか?
林 そこまででは(笑)。ただ、いろんなことを聞けば教えてくれるし、確かにことあるごとに聞かれもしましたね。またその間、ずっと乗り物には興味を持っていました。最初が自転車、次がオートバイ、その次はクルマです。
PDS まさに男の子って感じです。
林 大学のときは飛行機にも乗っていました。そういう乗り物を一通りメカニズムから勉強しているうちに、やっぱりエンジニアになりたいと思ったんです
PDS へぇぇ、飛行機!?
林 グライダーというエンジンが付いていない飛行機を知っていますか。計器がたくさんあって、ちゃんと操縦桿や足で操作するラダーもある飛行機です。国家試験の飛行機免許もあって、そのグライダーを飛ばす部活に入ったんです。
PDS なんでその部活に入ろうと思ったんですか?
林 陸の後は空かな?と(笑)。学生のときしかやれないことというのがいくつかあると思うんですが、グライダーも訓練等の時間が必要なので、忙しい社会人が続けるのは簡単ではないんですね。特に天候が悪いと飛べませんから。
PDS なるほど。
林 もう1つは『風の谷のナウシカ』(宮崎駿作)に出てくる「メーヴェ」という乗り物が好きで、学生のころ模型を作って飛ばしていたんですね。そこから「飛ぶ」ということに興味を持って、空気力学もかじってグライダーをやることになったんです。
PDS 物語に出てくる乗り物に憧れても、なかなか自分で作ってみようという発想にはならない気がするんですけど。
林 最初は子どもの憧れです。好きだ好きだと言っていると、父親が「あんなのは飛ばせない」とか言ってくるんですよ。僕の夢を打ち砕くわけです。
PDS (笑)
林 「なぬ? じゃあ、俺が飛ばしてやろう!」となるわけです。実際に作って飛ばしてみると、やっぱり乱流に非常に弱いとか、いろんな特徴が見えてきます。「悔しいけど、父親が言っていることは正しかったな」みたいな。そういう意味では、ちょくちょくチャレンジを促されていたかもしれないですね。
前例のない仕事で本領発揮
PDS 学生時代に打ち込んだグライダーや専攻は、いざ仕事をするフェーズでどのように役立ちましたか?
林 空気の流れに興味を持ったので、大学でも流体力学を専攻していました。それが使えるような領域の1つが自動車業界だったんですね。自動車の形を決めるのには、空気の流れが非常に影響します。
PDS それでトヨタ自動車に入社されたんですね。
林 そうです。そこでまず空気の流れの専門家になりました。最初は見習いの期間があって、CADでボディーの設計をしていましたが、それが終わったとき、たまたまスーパーカー(レクサスLFA)のプロジェクトが立ち上がったんです。そこに入ることになりました。
PDS へぇぇ〜、大抜擢ですね。
林 いえいえ。当時は前例のない、ものになるかどうかも分からないプロジェクトだったので、僕に「他業務の片手間にちょうどいいOJTだろう」と声がかかったんです。
PDS そうした前例がない仕事を振られたときって、林さんの気持ちはどういう風になりますか。
林 どちらかというと、前例がないほうが得意だという認識はあります。おそらく2種類の人がいると思うんですが、ちゃんとした型をしっかり守り通せる才能がある人と、何でも逆張りしちゃうタイプ。僕はどちらかというと後者でした。
PDS 自分が型を守るタイプではないと認識したのは、いつごろだったんでしょうね。
林 学校のテストからの気がします。ちゃんと期待された答えを出すことが求められているのに、それがあんまり得意じゃないっていうか、熱意を持てないというか。
PDS なんだか意外です。
林 まぁ、誰もやったことがないところを一生懸命やれば、当然のように成果が出るわけです。僕にはそちらのほうがブルーオーシャンに見えるわけですね。
PDS そこが凄いなと思います。
林 スーパーカーの成果があって、Formula-1(F1)のチームに引っ張っていただいたんですよね。スーパーカーやレーシングカーの空気の流れというのは、車体を地面に押さえつけるために、特殊な空気の使い方をします。当時トヨタのF1はドイツ拠点でしたので、そこで4年ぐらい開発をやらせてもらいました。
PDS ドイツはどんな職場環境だったんでしょう。
林 僕にとって新鮮な経験でした。30カ国以上のエンジニアが集まり、チームで働いているんですね。ドイツでありながらドイツ語で仕事するんじゃなくて、基本は英語で仕事をします。でも、実は僕、英語も話せないで行ったんです。
PDS それはさぞかし困ったでしょう。
林 英語が話せないで行ったら、もはや仕事のアウトプットで勝負をするしかないから、語学コンプレックスに打ち勝つべく一生懸命に仕事するわけです。そうやっているうち徐々に実力がついてきて、英語もしゃべれるようになりました。その後、赴任期間が終わって本社に帰ってきました。
PDS 日本に帰ってきてどうでした?
林 日本にはちゃんと英語を学んだ人たちは多いですが、英語でファイトまでできる人というのは少ないんですね。僕は30カ国のエンジニアのいる環境で、仕事を進め、議論をして、生き残れたぐらいのサバイバル能力は身につけました。そのため、その後の海外プロジェクトでは重宝されたと思います。
マネジメント力が必要だと実感
PDS F1の後、まったく畑違いの製品企画の部署へ行かれたのは、自ら希望してのことですか?
林 そうです。空気の流れという意味では、F1ほど空力が大切なクルマのカテゴリーはないですから、ある種の最高峰をやった感がありました。だから、新しい領域を見たいと思ったんですね。
PDS なるほど。
林 もう1つの理由として、F1では自分の開発した部品がレースに投入されていい成績を残すといった経験はできても、チームが優勝するかどうかは結局のところチーム力だね、というのは痛いほど知りました。なんとなく、職人としての仕事の限界というものを見たような気もして。
PDS エンジニアとしての挫折でしょうか。
林 エンジニアリング的思考の限界ではないんですよ。チームでのエンジニアリングに興味が出てきたんです。だから、もうちょっとマネジメント面も見ようと考えて、製品企画というクルマの開発を俯瞰しリードする部署に行ったんです。
PDS すごいなぁ。どんな仕事をされたんですか。
林 チーフエンジニアという一つの車種の最高責任者がいて、その責任者の下につく、立場的には水戸黄門についている助さん格さんみたいな立場です。
PDS 分かりやすいたとえですね(笑)
林 それまで個人技で職人的に空気の流れをやっていた人間が、いきなり助さん格さん役をやりだすと、どうなるか。仕事がさっぱり分からないんですね。
PDS あらら。
林 1グラム軽くして、1円の原価低減をする、といった世界です。膨大な認証、法規制を通す、量産性を考える、現地適合をはかる、不具合対応をする……見ること聞くことがすべて初めてで、最初はすごく大変でした。
PDS どの仕事であっても、始めはそうですよね。
林 そうですね。でも、2年、3年とやれば慣れるものです。そのころ、ちょうど孫(正義)さんが「ソフトバンクアカデミア」というプログラムを始めるというニュースを聞いて面白そうだなと思いました。実は僕は学生のとき、ソフトバンクの新卒試験を1回受けて落ちているんですよ。
PDS なんと。どうしてソフトバンクに入りたかったんですか?
林 孫さんという経営者のもとで働いてみたいと思ったんですね。常軌を逸していると言ったら良くないけれど……。
PDS 破天荒?
林 そう、破天荒。実際には、その間ずっと憧れていたというわけではないんですが、アカデミア開始というニュースを見て「あの時に落とされた学生が、今はこうなっているよ」と、ひとこと言いに行きたいなと思って。
PDS (笑)
林 面接を受けに行って「落ちたあと、こういう経験を積んできました」と言ったら、なぜか受かって。懐が広いですよね。そうしてアカデミアで勉強をしているうちにロボットの仕事をやることになったんです。
>>【後編】より良い明日が来ると信じられるテクノロジーを へつづく